戴宗は、呉用の指示と答えばかり聞きたくないと配置換えを願い出る
渾名は神行太保。誰よりも早く駆けることのできる好漢。
北方水滸伝において、戴宗(たいそう)は、原典以上に活躍。飛脚網や諜報部隊を作り、晩年は、アル中になる人間臭さ溢れる人物。
呉用(ごよう)の指示に疲れてしまった戴宗(たいそう)
そんな戴宗は、水滸伝の最後で梁山泊が落ちた後、死にきれなかった呉用とともに、新生梁山泊づくりに奔走します。その姿は、張清や李俊といった他の好漢達から、最も働いたのではないかと言われるほど。
戴宗は江州で牢役人の頭をしており、子分の李逵とともに下役人や囚人に畏怖されていた。また、その神行法の能力を見込まれ宰相・蔡京(さいけい)の息子である蔡得章(さいとくしょう)に飛脚としても重宝されていた。水滸伝:戴宗
横柄で、あいつが頭領になるのは、絶対嫌だと、皆に嫌われている呉用。その呉用とコンビを組んで活躍。しかし、そんな戴宗も嫌気がさして、職場変更を直訴します。その場面が、マネジメントとして大事なやり取りだと思いますので、ご紹介します。
配置換えを希望する戴宗は、上司の呉用を嫌っていない
上司の呉用は、配置変えを希望する戴宗にあっさりと許可を与えます。そして、嫌われて当然だと自嘲。それに対して、戴宗の言葉がこれ。
嫌っているわけじゃない。そばにいると、気が重くなる。それに耐えられなくなったってことさ。楊令伝第二巻
嫌いじゃないんだ。ただ、あんたのそばにいるのは疲れるんだと。
なるほどね。あんたにゃ、いつも答えがある。そばにいるのが嫌になったのは、答えばかり聞きたくなかったからなのかもしれん。
なぜ、そばにいるのが、嫌になったのか?
それは、呉用に、何を聞いても答えがある。そして、指令が多く、すべてに明確な報告を要求してくる。
楊令伝(ようれいでん)の第三巻では、そんな呉用の指示に疲れた自分について、自省中。
●呉用の指示に従い、疲れた戴宗
●考えていることが壮大で、身に迫って感じられない
●なのに、矢継ぎ早に指令を浴びせてくる
●大きな目的と指令が、戴宗の頭の中で、結びつかないことが多かった
●疑問をいだきながらの仕事が、戴宗を不安にし、疲れさせた
楊令伝第三巻
そうですよね。この仕事を何のためにしているのか?
そこを理解せずにする仕事は、なかなかつらいものです。
マネジメントは、目的をはっきりさせる
- 単に石を積む仕事をしている
- 石を積んで。ピラミッドを作るという目的がある
同じ、石を積む仕事をしても、大きな目的をわかっていれば。仕事に対する疲労感も違ってくると思います。
呉用の場合、目先の仕事に対する要求や報告は厳しい。中程度の目的については、きちんと話してくれる。ただし、自分の意見を挟む余裕がない。そう、何を聞いても答えが返ってくる。
本編の水滸伝では、失敗やヘマもする人物。それが、北方水滸伝では、ちょっと違います。憎めないヘマではなく、失敗するときは、皆のマジ怒りを引き起こす許せないミスや失言をしてしまう可愛げのない人物として描かれています。そして、物語の最後まで登場し続けるというある意味、主人公並の活躍をする男。
天下に並びない智謀の持ち主で、軍師として、公孫勝とともに神算鬼謀の限りを尽くした。しかし、『三国志演義』の諸葛亮のような神懸り的な人物ではなく、失敗もすれば冗談も飛ばす人間的な人物である。戦略や謀略の才には長けているが、実践の戦術や兵法に関する造詣は次席の軍師・朱武に多少劣る。また、鎖分銅の使い手でもある。水滸伝:呉用
君はどう思う。君はどうするのが良いと思うかな。と呉用先生が聞く姿があれば、戴宗も疲れなかったかも。
相手の意見を聞いて、それを取り入れるとだいぶ違うと思うのですが、どうでしょう。
幸い、方臘の乱(ほうろうのらん)を超えてからの呉用は、人間の質が大粒になったと評されるように、相手に任せる・意見を聞く度量を身につけるように成長します。