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「沈黙の春」の批判&問題点は、環境活動家に過度な自然礼賛を与えたことかも

レイチェル・カーソンは、ご存知、「沈黙の春」を書いた有名な作家・科学ジャーナリスト。1962年に「沈黙の春」が大ヒット。彼女が、DDTなどの農薬による生態系への悪影響を警告してから数十年。今でも、この本の影響は大きく、環境活動家にとってのバイブル。

その功績については、様々なところで語り尽くされていますので、今回は、その功績よりも問題点に注目してみようと思います。

レイチェル・カーソンの沈黙の春」その問題点や批判とは

一つだけ、注意していただきたいのは、昔の事を現代の基準で批判するだけでは意味がない。昔の方が、知識や情報などの材料がない中で、主張を組み立てる必要があったということを忘れないようにしたいと思います。「沈黙の春」がなければ、世界で起きた公害は、もっとひどくなったかもしれませんしね。

今は、文庫でも買えるので、読みやすいと思います。

さて、まずは、禍の科学による「沈黙の春」が、世間に与えた影響をまとめてみます。

禍の科学による沈黙の春の問題点

殺虫剤のDDTを否定したため、マラリア根絶に時間がかかった。

沈黙の春は、DDTという農薬の散布により、害虫だけでなく、人々や生態系に多大なる副作用があったことを大きなテーマにしています。薬品の生物濃縮の怖さ・人間が自然をコントロールしようとすることの愚かさなどをしっかりと一般大衆に届けた礎となる本。

毒性が強く残留性で生物に蓄積する農薬(DDTなどの有機塩素系農薬)。これらが“害虫”だけでなく、その他の虫や鳥など生態系に深刻な悪影響を与えることを初めて警告したのが、レイチェルカーソンの名著『沈黙の春』(1962年)でした。禍の科学


沈黙の春の影響で、DDTが禁止されたことによる副作用まとめ

  • 結果として、DDTを中心とした殺虫剤により、ハマダラカはいなくなり。マラリアは、ほぼ根絶。
  • レイチェル・カーソンの沈黙の春の影響により、米国は、DDTを禁止。
  • DDTの害虫対策で虫だけでなく鳥や人間が死亡する
  • 米国が禁止した1972年以降、5000万人がマラリアで死亡
  • 最終的に99の国でマラリアは根絶。その根絶には、DDTが使用された

マラリアの感染予防には、マラリア原虫を媒介するハマダラ蚊の防除対策が重要となります。しかし、いまだにDDTに取って代わるだけの防除効果が高く、毒性が低く、かつ安価な薬剤がないのが実情。スリランカを例に取ると、1964年にDDTの使用禁止措置を行いましたが、その後5年間でマラリア罹病数は激増する結果となってしまいました。

そのようなことから、WHOは、2006年9月にマラリアを制圧するために、DDTを屋内使用に限定して有効活用することを勧告しました。

農薬工業会:DDTについて

もし、DDTの禁止措置がなければ、マラリアで命を落とす人の数が減っていたことは間違いありません。

しかしです。当時、公害や薬害・化学肥料・洗剤などの化学物質が、環境を汚染していたことも確か。私は、釣りが好きだったので、多くの河川や湖沼の汚染を見ました。マンガ釣りキチ三平でも、時折、登場するテーマの一つは、「魚の住める水を守ろう」という環境問題だったのです。

大阪の淀川・大和川の汚染、滋賀の琵琶湖。四日市ぜんそく・・・そういった公害を止める役割を果たしたのも確か。どんなに有能な人物でも、すべての意見や主張が正しいわけではないのです。

ゼロ・トレランスという概念=ゼロ・リスク

カーソンが持ち込んだ概念の一つに、ゼロ・トレランス(ゼロ容認)という要素があるとオフィット氏は、禍の科学で書いています。

人為的な活動が環境を破壊するというカーソンの前提は正しかった。しかし、カーソンは、ゼロ・トレランス(ゼロ容認)という概念も誕生させた。濃度や量に関係なく、有害物質は、一切認めず、全面的に禁止すべきだとという考え方だ。

沈黙の春全体を読むと、そこまでいい切っていない面もありながら。その後の環境運動に、大きな影響を与えたのが、このゼロ・トレランス。

  • 減菌ではなく滅菌して欲しい
  • 100%安全なんですよね
  • 少しでも危険や副作用があるなら拒否する

このような考え方が、ゼロ・トレランス。残念ながら、ほとんどの局面においてこれを実現するのは、不可能です。

量次第で薬は毒にもなる:パラケルススの言葉通り。

ワンピースにおいて、「Dr.くれは」は、医者の卵「チョッパー」に、万能薬なんてない。だから、医者がいるし、優しいだけでは、人を救えないとさとしています。

自然と人間の調和という理想を描いたエデンの園

自然と文明 自然と文明の調和は大事ながら、過去を理想化し、文明や人間の存在を否定するのは、とても危険だと思います。

カーソンの著書には、データがなかった。沈黙の春は、聖書のような構成で、人間が創造主に逆らっているという私達の思いにうったえかける かつて、存在したエデンの園。そこでは、あらゆる生物が周囲と調和しながら生きていた。しかし、人間は善悪の知識の木からとって食べ、経済的発展という偽りの神をあがめ、天国を崩壊させた。 カーソンは、昔の米国を舞台にした架空の村での幸福な生活をノスタルジックに描いた。そこはすべてが自然と調和しながら均衡を保ち。どこまでも幸福で満ち足りている場所。

これ、いまだに続く自然との調和信仰。残念ながら、過去の歴史や物語を読む限り、人間と自然が完璧に調和した世界は、存在しません。 自然のままに生きるなら、人間は、熊や虎に怯え、農作物は、害虫の被害に合います。

ありのままの自然を守るなら、人類や文明は存在できない

そして、さまざまな寄生虫や病原体の前に、文明を失った人間は、無力でしかありません。 江戸時代におきた享保の飢饉は、害虫のウンカが原因で、数万人の餓死者が出たとのこと。 享保の大飢饉は、冷夏と稲の害虫「ウンカ」の大発生が原因でした。

今でこそウンカは、中国や南の国から季節風にのって海を渡り、日本にやってくることが分かっていますが、三百年も昔の江戸時代の人々が、そんなことを知るはずもありませんでした。冷夏と害虫

そう、レイチェル・カーソン氏が、沈黙の春で描いたエデンの園は、どこにもありません。

だが、彼女が描いたのは幻想だ。理想の村は、住民の寿命は35歳前後。100人の子供が生まれても5歳までに20人以上がなくなる。人間が自然の均衡の一部となって、。生きていくことがやっとだった時代に時計の針が戻ることを期待はできない。 環境科学者のウィリアム・クロノン 人間が地球上で自然に生きることを望むなら、残された唯一の道は、荒野のエデンでの狩猟採集生活に戻り、文明が私達に与えてくれるほとんどすべてのものを捨てること。「私たちが介入したことが原因で自然が死ぬのなら、自然を救うために残された唯一の道は、人類が滅びることしかない」。カーソンいわく、原始的な農業が行われていた環境では、虫に悩まされることは少なかった。初期の農耕社会で、虫によって媒介される病気や虫が原因の飢饉に苦しめられていたという事実は書かれていない

 人間と自然が調和するのは難しい。自然と人間の対立・コントロール。このバランスをいかに取るか。昔や自然を理想化しすぎると陰謀論や終末論の餌食になってしまいます。

陰謀論によくある製薬会社や化学会社によって、政府は支配されているという説もこの辺りの影響が大。ただし、DDTの禁止すべてを沈黙の春のせいにするのは、行き過ぎだと思います。

過度な自然賛歌は、「人間を滅ぼせ」理論にもつながる危険な思想。まあ、何事もやり過ぎではいけないのと同じ。



1970年代の壊れかけた生態系と行き過ぎた文明批判と自然賛歌

レイチェル・カーソンの書籍が、世の中に大きな影響を与えたのは事実。特に、自然を愛する人達にとって、海や川・湖が汚染されているのを見てきました。そのため、行き過ぎた文明が身近な自然を破壊するとの恐怖は、身につまされるものでした。川や湖に浮かぶ洗剤の泡。魚が棲めなくなってきた近所の小川。

それを体験した自分としては、カーソン氏の功績に感謝しつつも、行き過ぎた文明批判と自然賛歌には、注意したいと思います。

レイチェル・ルイーズ・カーソン(Rachel Louise Carson、1907年5月27日 – 1964年4月14日)は、アメリカ合衆国のペンシルベニア州に生まれ、1960年代に環境問題を告発した生物学者。アメリカ内務省魚類野生生物局の水産生物学者として自然科学を研究した。

農薬で利用されている化学物質の危険性を取り上げた著書『沈黙の春』(Silent Spring)は、アメリカにおいて半年間で50万部も売り上げ、後のアースディや1972年の国連人間環境会議のきっかけとなり、人類史上において、環境問題そのものに人々の目を向けさせ、環境保護運動の始まりとなった。没後1980年に、当時のアメリカ合衆国大統領であったジミー・カーターから大統領自由勲章の授与を受けた。レイチェル・カーソン

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