摸着天杜遷と甥っ子「祖永」:勇敢に死ぬよりもきちんと生きることが大事

北方水滸伝お得意の生きる哲学を学べるお話。

梁山泊の古株で医師の白勝は、皆を助けて腹に大怪我をした祖栄の怪我を手術で治療します。なんとか命を拾った祖栄と話をする白勝。

摸着天杜遷をよく知っているという白勝。そして、祖永は、こう聞きます。

摸着天杜遷と祖永:勇敢に死ぬことよりもきちんと生きる事が大事

「伯父は、勇敢に死んだのですか?」

摸着天杜遷は、部下を逃がすために、炎に包まれて死んだ伝説の男。それを知っている白勝は、この祖永の質問に、危険を感じます。だってそうですよね。勇敢に死ぬことが大事なのか。ワンピースに出てくる骨になっても生きている男「ブルック」。彼は、クジラのラブーンとの約束を守るために、一人きりになり、骨だけでも生きています。ブルックの言う「死んでごめんじゃないでしょう」。

そう、白勝は、弱いがゆえに、その辺をわかっている男でした。

「なあ、祖永。勇敢かどうかは問題じゃねえ。きちんと生きて、きちんと死んだからだ。死ぬ時に勇敢になることなんざ、きちんと生きることに比べれば、簡単なことよ。」

「いまに、おまえにもわかる。怪我が治っても、勇敢に死のうなんて考えないことだ」楊令伝第二巻 辺烽の章

しかし、若い祖永は、まだ理解できず。勇敢だということにこだわります。

「わかりません。勇敢なのは、素晴らしいと思うのですが。」

「そりゃ、死に方からいえば、勇敢だった。だがな、梁山泊軍の古い兵があいつのことを忘れないのは、きちんと生きたからだ。ああいう死に方でなかったとしても、その兵たちは、摸着天杜遷を忘れねえさ。」

死に方が凄まじいと印象に残ります。水滸伝の中でも、朱仝、林冲、呼延灼など英雄豪傑は、とんでもない死に方をして、読者の涙を誘います。でも、皆が皆、英雄ではなく、凄まじい生き死にをしていれば、物語としても人生としてもお腹いっぱい。

そこは、さすが、北方先生。杜遷のように、脇役が、あちこちで輝くのが、北方水滸伝の素晴らしいところ。

こそ泥から生き方を変えた白勝が祖永を諭す意味

「勇敢に死ぬよりもきちんと生きることの方が難しい。」

なんと含蓄のあるセリフでしょうか。

ヤンキーやヤクザが、ふっと見せる優しさや最後の瞬間に見せる素晴らしい一面。物語をはじめ、人生には、そういったところが注目されるところがあります。でも、ホントに大事なのは、普段から「きちんと生きているかどうか」。そして、一瞬だけ輝くよりも、そういったいぶし銀の輝きの方が、難しいことを白勝は、教えてくれます。

楊令伝では、すっかりベテランの貫禄を身に着けて、天才ながら独善ぶりの目立つ「花飛鱗」を諭すところも良い場面。

白勝は、もともと、白日鼠との異名を持つこそ泥でした。それが、林冲・安道全という二人の友ができて変わります。そして、安道全の手ほどきを受けて、医師となり活躍。地味ですが、水滸伝の中にある哲学を体現した男の一人として、楊令伝第二巻における白勝のセリフは、心のひだにしみ込む内容でした。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加


関連記事


物語で心理学・マネジメント・哲学を学ぶ