政治家に 必要な資質は

影武者徳川家康の時代は、笑われた高潔な武将。政治家に清く正しくを求める?

時代が変わったなあと思うのが、影武者徳川家康に出てくる「高潔な政治家」という言葉。石田三成を高潔な武将と評価し、戦に勝てない理由に、その点を上げています。

矛盾しなくなった高潔な武将=政治家という言葉

隆慶一郎氏が、影武者徳川家康を書いた時代には、笑われていた高潔な政治家という言葉。

だがこの言葉は矛盾していいか。高潔という言葉と武将という言葉は、本来、一つになるはずのない観念なのである。

武将という言葉を政治家と置き換えてみれば、現代人にもその矛盾は判るはずである。高潔な政治家。現代人は笑うだろう。同じ意味で高潔な武将という言葉も笑われていい。影武者徳川家康

これは、影武者徳川家康上巻に出てくる一節。現代人は、高潔な政治家という言葉に笑うだろうと筆者の隆慶一郎は、書いていますね。この時代、高潔な政治家は笑われたということです。

私の子供の頃、高潔な政治家。そんなのでは首相になれないと思っていました。トップになるのは、ちょいワルおやじ顔の人が大半。清潔なタイプは、首相候補止まりでした。

時代が変わり、清潔でないと首相になれない

それが今では・・・2021年現在の我々からは、ちょっと、その常識変わりましたよとお伝えしたいところです。

影武者徳川家康は、『静岡新聞』に1986年1月4日から1988年11月30日の連載。1989年新潮社から上下巻で本になりました。

うーむ。時代は変わるものですね。

1986年から1989年にかけての政治家を見てみましょう。

1986年の首相は、中曽根康弘氏。さらに、中曽根内閣のもと、国務大臣は金丸信。金丸信氏を高潔な政治家と考える人は少ないでしょう。実際、佐川急便からの闇献金事件で失脚しました。この事件の時も世間の風潮は、「意外」ではなく、「やっぱりな」でした。

このことからも、1980年代後半から1990年代にかけて、政治家=高潔と考えている人が少なかったことが分かります。

しかし、2021年の現代政治は、どうでしょうか。政治家に、不倫・闇献金などが発覚すれば、大きなマイナスポイントになります。ある程度、清潔でなければ、総理大臣をはじめとする大臣になれないのが現代社会ではないかと思います。国によっては、いまだに汚職事件が盛んですし、100%、清潔な政治家というのも考えにくいところ。

菅首相やいずれの候補、小泉進次郎氏。彼らに、清濁併せ飲む器の大きさを感じるでしょうか。金丸氏タイプというより官房長官・お坊ちゃまという印象です。

叩き上げで、何も悪い事をせずに、政治家としてトップに登りつめるのは難しいはず。

かのドナルド・トランプ氏も言っています。「俺は、もともと、金持ちだからな。お金欲しさに政策を変えたりはしないのだ」。政治にお金がかかる以上、仕方ありません。

まあ、個人的には、武将や政治家に必要な悪をもって悪を制す・清濁併せ飲むが足りないと感じてしまいます。

そして、政治家に高潔さを求めるなら、叩き上げの政治家が、国のトップに上り詰めていくのは難しくなるでしょう。自分の手をまったく汚さずに、裸一貫のし上がるなんて無理な話ですからね。お金・知名度・地盤ゼロから、二世議員に正々堂々と挑んで勝てるわけがありません。それができるとしたら、スポーツ選手か芸能人だけ。

政治に高潔を求めてしまうから、世襲議員が増えて、芸能人やスポーツ選手の議員が増えるわけです。もちろん、それが悪いわけではありません。

でもね、海外にたくさんいる強烈な政治家や軍人・外交官・企業家。こういった面々と五分に渡り合うには、高潔でなくても海千山千の政治家が必要だと思います。

 

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