必読の書「オウム真理教追跡2200日:すべてを賭してカルト宗教と戦った江川紹子さん」

新型コロナのパンデミックで世間が混乱している今、カルト団体が猛威を振るっています。それは、各大学が、カルト団体についての注意や対応方法を出しているのでもわかります。

オウム真理教と長年、戦い続けてきたジャーナリストに江川紹子さんという方がいます。カルト宗教は、意外にあなたの身近にいます。正体を隠して、いい事をしている・主張している団体に、危ないところはたくさん。

ぜひ、一度は、江川紹子さんはじめカルト宗教団体について、書いた本を読んでみてください。私は大丈夫と思っている人ほど、カルトの泥沼に入ると危険です。相手は、あなたの善意や承認欲求を利用することに長けたプロです。そして、あなたを助けたいという善意の気持ちで近づいてきますから厄介。そう、カルト宗教の勧誘をしてくる人は、詐欺師と違い、あなたを騙そうとしているのではありません。助けようとしているのです。

善意の人の手助け。特にあなたと関係のある人からのであれば、断りにくいですよね。何度でも言います。だから危ないのです。

基本、カルト団体には、常識が通用しません。そのため、通常の価値判断や常識で考えると痛い目を見ることがあります。そして、100%間違ったことばかり言うわけではなく、いい事もたくさん言いますし、実際にあります。そのため、安易に近寄るとミイラ取りがミイラになることすらあるので、気をつけてください。

オウム真理教2200日:江川紹子

内容は、書籍を読んでもらうのが一番。その中から序文に書いてある大事なことをお伝えしておきます。日本には、信教の自由がある以上、かんたんに、カルト宗教をなくすことはできません。もちろん、日本だけでなく諸外国も同じですけどね。

オウム真理教を過大評価してはいけない

「麻原教祖のキャラクターをそっくりそのまま反映

異常で凶暴な集団であると同時に、とても幼稚でいいかげんな組織

素人のくせに、自信だけは過剰で、あまりにも行動が大胆なため、逆に意図や展開が読みにくい

常識や想像力があまりにも乏しく、あまりに自分本位であるがために、とてつもなく悲惨な結果を招く行動もほとんど躊躇も頓着もなくやってのけてしまう。そんな団体ではないだろうか。」

オウム真理教追跡2200日

彼らは、自分たちを選ばれた者・目覚めた者と称します。そして、カルト宗教の教義を信じない・知らない人を可哀想な人と考えています。その思考回路が幼稚かつ自信過剰。

そして、絶対的な正義や信念の元に、反社会的な行為であろうとも平気で行う事ができます。

なぜって・・・

世界や人類を救うという崇高な教えや使命は、「学校や会社の規則・国家の法律」よりも重要度が高いからです。

ほら、もう、この時点で、一般社会と相容れませんね。ヤバいカルト宗教団体は、個人の幸せや平穏より教団や世界の幸せを追求。そこが、通常の宗教との大きな違いです。彼らの言う愛は、結局、肥大した自己愛に過ぎません。こんな教えを知り、世界のために、活動している私は素晴らしいと自分に酔っているだけ。

そのため、身内や友人の忠告すら無視します。

オウムを常識の尺度で測ろうとすることが、そもそも間違いだ。

オウムは、そういった常識に基づく判断というものがない。むしろ意識的に、常識を否定し、欠落させている。このオウム的発想で、彼らは、とにもかくにも、目先に迫った捜査を少しでも遅らせるために、思いついたことを即実行に移す。

自分たちの利益だけが、彼らにとっては、唯一の関心事で、他者の利益や権利や命は、二の次、三の次。

自分たちを聖者だと称する彼らは、自分たち以外は、凡夫 外道を決めつけ、普通の人たちの生命を平気で奪った。

本当に幼稚なんです。彼らは、常識を否定するのがカッコいいという中二病のまま、大人に。

異常な人や犯罪者ではなかったのに。オウムにハマった理由

なぜ、多くの人が、オウム真理教というとんでもないカルト宗教に取り込まれていったのか。その理由を江川紹子さんは、明らかにしてくれています。これは、江川さんにかぎらず、カルトの専門家達は、信者への取材を通じて、同じことを言います。

  • 個人としては、むしろ善人
  • 金銭や人類優先の社会に対して疑問を持っている
  • 他の人や地球環境を救いたいという思い
  • 幼い頃から、周囲の人との関係に違和感を感じている
  • 現代社会を否定し、ノーと言いたい気持ちを持っている

むしろ、今の社会の競争原理に基づく殺伐とした人間関係や管理社会、環境破壊、金銭至上主義的な価値観を嫌い、もっと豊かな人間関係や自分自身の心の成熟・向上を求め、他の人々を救ってあげたいと願ってオウム真理教へ行ったはずだ

オウムは社会に対してノーと言える唯一の団体なんです。だからオウムに魅力を感じ、信者になっていくんだ

オウムは、自ら、反社会を標榜し、社会の規範・価値観・常識に対して、ノーを突きつけた。一報で、社会に甘え、社会の恩恵だけは目一杯享受してきた。

信者たちは、この反社会的な部分に魅力を感じていただろう。ノーと言えるオウム。しかし、そのオウムに取り込まれた個人個人は、オウムという組織に対して、ノーと言うことは、一切できなくなる。

今の社会の管理を嫌って、オウムにいったはずなのに、もっときつい管理の枠に縛られがんじがらめにされてしまうのだ。

現代社会や文明の行き過ぎは、誰もが感じていること。映画「猿の惑星」での有名な自由の女神もそうですね。主人公のテイラーが、自由の女神を見つけ、人類が滅び猿に支配された惑星が、実は、地球だったと衝撃を受けるシーン。

あの気持が、カルト宗教の反社会的な要素に魅了されていく一つの要因です。

現代社会への絶望こそカルトへの入り口

そこで肝心なのは、現代社会の中にいるかどうか。現代社会とかけ離れた教え。ひいては、社会に対して、強すぎる怒りや憎しみを持つ教祖や団体は、カルト宗教団体である可能性が高いと思います。

現代社会への過度な怒りや絶望を抱いた時は、必ず、立ち止まってください!

ぜひ、一度、江川紹子さんの「オウム真理教追跡2200日」をお読みください。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加


関連記事


物語で心理学・マネジメント・哲学を学ぶ