増上寺で有名な源誉存応:頭の良い人間に見られる傲慢さと心の狭さにご注意

なぜ、わからないのか。普通、わかるでしょうと部下や後輩を責めがちなあなた。そんなあなたにぴったりなお話です。

ふだんから頭が良いと自負している人は、つい、自分と他人が違うことに鈍感になりがち。

これくらい、普通、できるでしょ・わかるでしょを連発する方は、「存応和尚」のエピソードから学べることがあるはずです。存応は、徳川家の菩提寺となった増上寺の住職だった人物。

江戸に来たばかりの徳川家康とは、肝胆相照らす仲だったという。

影武者徳川家康に出てくる源誉存応の人物評。

隆慶一郎氏の人物評価は、含蓄深い。

源誉存応は、人間的にはかなり欠陥の多い人物だっとと言われる。何よりも傲慢で非常に心が狭かったという。頭脳の並外れて鋭い人間によく見られる特徴である。他人のする事なす事、馬鹿に見えて仕方ない。

事実、大方の人間は、愚かであり、その愚かさを試行錯誤によって、つまり、己の心身に手痛い傷を負うことで克服してゆくものだ。そこにこそ、人間の尊厳が存在するのだが、天賦の資質に恵まれた少数の人々は、この段階をとびこして無傷で高みに達してしまう。傲慢になるのは、むしろ当然であろう。

人間は、愚かだからこそ、失敗しながら前に進む。そこにこそ、人間の生きる価値がある。

しかし・・・頭が良く、何事も自然にこなせる人は、努力しても達成できないということを許せなくなる。努力すれば、必ずできるはず。できないのは、努力・やる気が足りないからと思ってしまうのです。

こういう人物は、他人のすることを見ていていらいらして仕方がない。

なぜそんな馬鹿なことをするのか。こうすべきなのは明瞭ではないか。そう思って教える。教えてもわからない人間にはわからない。

これも当然のことだ。教えられて判ることなど人生では少ないのである。所詮、自分で苦労して掴むしかない智慧の方が多い。そして苦労する能力もなく、一生、知恵を手に入れることなく死んでゆく人間が大方。

そして、心が狭くなり、愚かな人を許せなくなってしまう。

そんなことは、百の承知の上で、なおも苛立ちを覚えるのが、この手の人物。そのいらだちが高ずると、次第に愚者を許すことができなくなる。

中でも、愚者のくせに努力もせず、いわば、居直って、これでいいのだ などと言っている人間を許せない。極端に言えば、そんな奴は生きている値打ちがないと思ってしまう。それが心の狭さになって現れるのだ。

そういう上司に当たるとなかなか辛いですね。努力してもできない人がいるならば、そこを手助けできるような人になりたいもの。



もしも、あなたが、他人のすることにイライラしてしまうなら、この「影武者徳川家康」の話を思い出してください。人は、完璧ではなく、間違うもの。その間違いにへこたれず、前に進んでくれる部下や仲間を大事にしましょう。

源誉存応〈げんよぞんのう〉は増上寺の十二世で、徳川家康江戸入府後間もない頃から関係を深めて、増上寺の寺格を知恩院と並ぶ浄土宗の大寺に発展させた人物です。港区歴史博物館

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